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泉徳寺十三世 大仙孝仁大和尚 本葬義

父親であり師匠の泉徳寺十三世大仙孝仁大和尚(河村孝仁 旧姓那須孝仁)がされた去る四月十三日、午前四時五十分に遷化し本葬儀が四月十七日に執り行われました。
ご焼香頂いた皆様に御礼申し上げますと共に生前のご交誼に感謝申し上げます。
師匠は九州にて炭鉱夫の父(私の祖父)の次男として産まれ、六人兄弟の三番目。母を早くに亡くし下の三人の姉妹を見ながら成長します。
中学を卒業すると父(祖父)にこう言われます。
『とても高校まで行かせる余裕がないから、ほらあそこにお寺があるだろ!あそこに行けば高校に行かせてもらえるので、取り敢えずお寺に入れ』
優秀なお兄さんとお姉さんを大学まで進学させるには、この選択しか無かったと祖父は生前に涙ながらに私に話してくれました。
そのお寺とは長崎の晧台寺です。
有名な眼鏡橋はこの晧台寺の参道です。
師匠は『とにかく右も左もわからなかったけど、最初のお盆は、長崎原爆被災物故者の十三回忌でお盆経の全てが法事。片腕・片足を失くしている方などざらで世の無常を感じた』
と私に話してくれました。
その後、大本山永平寺の修行の後に縁があり愛知県泉徳寺に晋住(住職となる)します。
僧侶は遺偈(ゆいげ)と申しまして亡くなる前に僧侶として弟子にその悟りの境地を文章にして残します。師匠の遺偈は
『命典座襷 遊戯人天 感謝感謝 七十九年』
〝典座(てんぞ)の襷(たすき)を命(めい)として、遊戯人天(ゆげにんてん)、感謝感謝、七十九年〟
典座(食事を作るお坊さんの役職)和尚として仏道精進した七十九であったがそれもひとえに人とのつながり(仏縁)があってこそでした。私が僧侶としての悟りは何事にも感謝しかございませんという意味です。
 その類稀なる人懐っこさはお手伝いのご婦人を魅了し、掃除、感謝を忘れずに典座に励みます。
逸話は数え切れませんが、例えばお手伝いに行ったお寺のボロボロの冷蔵庫をピカピカに磨き上げて仕事を終わらせたり、食材を余すことなく料理を作りお手伝いのお皆様に
『これはお家の方にご供養だよ』
と持ち帰らせたり。
あるお寺で七日間の大法要を開催するに当たり、そのお寺のお庫裡様が
『もうあんな身体が辛い法要を開催するのは絶対反対』と息巻くなか、
そのお寺の住職さんが『料理を担当するのは孝仁さんだよ』と一言のべると
お庫裡様は冷静さを取り戻し平然と
『孝仁さんに会えて七日間も食事を作ってくれるのなら法要を勤めても良いよ』
と了承を取り付けた逸話はとても有名です。
ご寺院様、お庫裡様は勿論、檀信徒のお手伝いの方々から絶大な人気を誇っていました。
このような事から、一年中お寺の特別法要に全国を飛び回るので幼い頃の父との思い出は『いつもお家に居ない父だな』と言う記憶が鮮明です。
今、私の子ども達に同じ事を言われるので、これは父の血筋だなと実感します。
私が六歳の時に脳梗塞で台湾で倒れ、二ヶ月後にお寺に戻ってきた時、全く言葉が喋れず、兄や私の名前すら言えない状態からなんとか喋る状態に復活するまでの療養は家族全員で行いました。
母に『お父さんが頑張ってるんだからあなた達も一緒に頑張りなさい』と一切の砂糖を断ち、野菜中心の食生活です。
学校の給食も断り、玄米オニギリを持参して『百回噛んでから、飲み込みなさい』と言われたものでした。
私たち兄弟はそれが普通でしたから苦痛とも思いませんでしたが、友達が美味しそうに給食を食べている姿が羨ましいと思った事は何度もありました。
そんな家族の励ましがあってか何とか自分一人で仏事をこなせる様になり、脳梗塞の後遺症で右半身が麻痺して字は書けなくなり不便な事も沢山あったでしょうが、持ち前の明るさでそれを感じさせない師匠でありました。
私は経典に関わる教えは師匠から一切受けておりません。
とにかく『身体を使う事を惜しむな』と言う教えだけです。
晧台寺や永平寺での破天荒な逸話や歴代禅師様との交誼など逸話に事欠く事がありませんが、弔問に訪ずれるお坊様方の話を聞いていた孫五人は
『やっぱり面白いじいちゃんだね』
と言っていました。道元禅師の代表的な教え『典座教訓』を体現していた師匠でありました。
平成元年の師匠の晋山式の時に父(私の祖父)に
『家を出されてお坊さんになった時は 捨てられた と言う憎しみしか無かったけど、今は僧侶になれたことを感謝している』
と泣きながら祖父に打ち明けた時の父や祖父の顔は今でも鮮明に覚えています。
そこに私も感動したものです。
『仏縁に出会うきっかけはどんな形でもよい。大切なのはそれを行じていくことだ』
とは道元禅師さまのお言葉ですが、僧侶としての生き方を典座で示し、山寺で収入の乏しかった泉徳寺を何とか後世に残せるよう尽力した人生であったのだと思います。
様々なご縁が重なり、私が産まれ、そのご縁を結んでいただけたお釈迦さまの教え。私はお釈迦さまから数えて八十五代目の仏弟子ですが、この誰一人欠けても今の私が存在しないことに感謝しかないです。
ご葬儀までの間に二百三十九名ものご寺院様のご弔問いただき生前の交誼の広さに感服いたしました。
五人の孫にとってはご弔問のご寺院様から若いころの師匠の逸話を聞くことが出来て、今は意味が解らずとも
『僧侶としての生き方が何であるのか』
を体感する学びの多かった葬儀・告別式ではなかったでしょうか。
そして、師匠。私をお釈迦さまの弟子にしていただいて誠に有難うございました。
最後にご報告が遅れましたことをお詫び申し上げます。
   報恩感謝 龍門陵賢九拝                                                          (本覚寺寺報第20号)