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繋がりを知る

本覚寺 蓮

 今年もお盆の季節がやってまいります。毎年この時期になると、皆様と故人についてお話する機会が増えますが、今年は私も友人に思いを馳せるお盆になりそうでございます。
今から十五年前、福井県の永平寺で彼に出会いました。優しさを絵に描いたような彼は「修行」と言う厳しい行の中で、何か安らぎを与えてくれるそんな存在でありました。

 若くして師匠を送り、永平寺の修行から戻るとすぐに住職として辣腕をふるわれました。人生の伴侶を得て子宝にも恵まれ、まさに順境にあられたと思います。
午前中のお参りを済ませ、奥さまに「気分がすぐれないから少し横になるね」と声をかけ寝室に足を運び、そのまま新たな修行の旅に出かけられました。

 残されたお子さんは私の長女と同じ小学三年生でした。

 ご家族は、健康診断に行っていれば!すぐに身体の異変に気が付いていれば!と何度となく後悔されました。

 生きてさえいれば後悔をやり直すことはできるかもしれませんが、亡くなった方の前では、私たちは無力です。その死を受け入れ、ただ手を合わす事しかできないのです。

 たとえ私が僧侶であっても、それは同じです。あまりにも若く突然の死をどう受け入れればよいのでしょう。愛する人を亡くした悲しみを乗り超える事は決して容易なことではありません。「お盆」は、そんな人々の拠り所となる日であります。
 

 キュウリの馬、なすの牛を作るのは、馬に乗ってあちらの世界から一刻も早く家に帰って来てほしい、沢山の荷物を牛の背に積み、ゆっくりと戻って行けばいいという人々の願いの表れです。

 あなたの家はこっちですよと迎え火を焚き、盆提灯を飾り、沢山のごちそうを揃え、亡き人に再び会える時を心待ちにします。あちらの世界で尚生き続け、お盆になると帰って来ると信じる事が、残された人々の心を救う術となっていたのです。

 身近な人の死に直面したことがない方は、ピンとこないかもしれませんが、私たちの「いのち」は、すでに亡くなられているご先祖様からずっと繋がっていただいたものです。その方がひとりでもみえなければ、私たちはこの世には存在いたしません。そう考えると、この尊いいのちをくださったご先祖様に感謝せずにはおれず、お盆が特別な日であるとお感じになることができるのではないでしょうか。


 当山のお盆は八月一日から十四日まで皆さまのお宅にお邪魔してご供養申し上げ、十五日には本覚寺本堂に於いて近隣のお寺様に集まって頂き「施食会」としてお盆の勤めをさせていただきます。又、二十三日は境内にあるお地蔵様にお子様の健やかな成長をご祈祷する「地蔵盆」を勤めさせていただきます。同時に、万霊塔にお眠りになられている皆様にご供養申し上げます。
 これらのお盆のお勤めに、どうかご家族でご参拝いただき、愛する人やご先祖様をそばに感じていただきたいのです。


 そして、未来を担うお子様に是非温かな「いのち」の繋がりをお伝えいただき、「お盆」の意味を今一度ご家族でお考えになるよい機会になればと願っております。

                                                 (本覚寺 寺報 第七号)